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2015年01月号 vol.1

これからのパートナーシップについて

2015年01月15日 19:38 by minori
2015年01月15日 19:38 by minori


◆多夫多妻制になっていくんじゃないかという、未来型結婚観の考察。

ある時ふと多夫多妻を思った瞬間がある。多分「シェア」について考えていたときのことだ。シェアハウスやカーシェアリング・ワーキングシェアなど、今多くの「物のシェア」が行われるようになった時代だ。図書館や美術館のような施設もそこに当てはまるかもしれない。個人の所有から、多数のシェアに移行しつつある。ではこの移行がある一定のレベルで行われるようになったら次は何が起こるのか。・・・「人のシェア」も行われるのではないだろうか。そしてその先に、「自然(地球)のシェア」に続くのではなかろうか。そんな白昼夢のようなものを思い描いたことがある。


 


「人のシェア」というのはなんだか人を物のように言っているように聞こえてしまうだろうが、シェアというものを議論する上で我慢願いたい。言いたいのはそこに「個人の所有」「わたしだけのもの」といった考えがなくなるということなのだ。だから「自然のシェア」で言うなれば、国や所有資産といったものがなくなるということだ。「ここからここまでは日本の領土」「200海里以内は自国の物」「この山は私の資産です」という現象がなくなる。そして地球と言う広い視点で見て、人類(地球人)としてその全てのもの(物・人・自然)をシェアするという現象が起こるのではないか。





もちろんこれは仮説である。しかし少なくとも物のシェアは実際に拡大し、人のシェアも少なからず行われている。わかりやすく言うなら多夫多妻制だったり、「彼氏」や「旦那」と限定せずに多くの人を愛するパートナー制。別に1対1で愛し合ってもいい。ただ少なくとも選択肢の幅が広がっているのではないかと思う。人類が皆1対1の恋愛をしないといけない訳でも、結婚を必ずしないといけないわけでもない。その真逆を行くような選択肢も今後、表面化してくると思う。


 

 


そんなことをずっと自分の中で思っていたのだが、彼のブログを読んで、記事にしようと思い立った。考えていることが著しく似ている。
 
【不倫肯定論】所有は人間の自由を剥奪する。ー 「その人を使って自分を幸せにしたい」のか「自分を使ってその人を幸せにしたい」のか。
 


彼の方にも書いてあるが、不倫や浮気を肯定するというよりも、愛の多様性だったり、所有からシェアへの概念の移行のことを言っているにすぎない。

 

過去に私は、ヒデアキのことを「彼氏(旦那)」ではなく「パートナー」と呼ぶ理由の一つに、「人生を一緒に歩んでいきたい実質的なパートナーという意味と、なんだかいないと落ち着かないある種自分の半身みたいな気がしているのと、そして別に彼だけを愛している訳じゃないからだ」と書いた。今回言及したいのは最後の部分だ。別に彼だけを愛している訳ではない。「この人ほんとうに愛おしいな」と思う男性は他にもいる。いいじゃないか。何かを愛している時人は幸せを感じるが、複数の人を愛せばその感情レベルでの幸せは増大する。もう一度言うが、1度に1人の人しか愛してはならない、それは正しいことなのだろうか。逆に異常でなのではなかろうか。複数の子どもを一度に愛してよくて、パートナーは1人しか愛してはならない。その原因は「所有」にあると考えれば、実は筋が通る。

 
 


無意識に大抵の親は子どもを自分の所有する人間だと考えている。自分から生まれ、名字も同じ、生まれた瞬間から一緒にいる。しかしパートナーは違うのだ。過去は一緒におらず、育ってきた背景も違う。さらにライバルがいる。子どもは普通に考えれば人の物にならない。しかしパートナーは他の人の物になりうる。自分より素敵な女が取っていってしまうかもしれない。自分より若い男の方に興味を持ってしまうかもしれない。しかし子どもは血が繋がっているから大丈夫。・・・だなんて、そんなのあくまで「血液」と「戸籍」の話でしかない。つまり子どもとパートナーへの愛し方や、いなくなってしまうことの不安感が両者において違うとすれば、それは少なからずそこに所有の概念があるからだ。
 

「嫉妬」「誰かにとられるという焦り」「その人(パートナーないし子ども)がしっかりしていないと嫌だ」、それはすべて所有からきている感情なのは考えれば分かると思う。言うことを聞かせたい、ずっと側にいるべきだ、それも所有ゆえの思考である。別にそれを否定はしない。でもそれは所有という自己愛であって、相手の幸せを望む他者愛とは相反する部分が在るということを理解しておいた方がいいとは思う。ちなみに私は、パートナーへの嫉妬はもう抱くことはないと思う。例え彼が他の女性とセックスしたり、元カノと旅行に出かけてたとしてもだ。「嫉妬」は、ドラマや漫画・環境から学んだ概念に過ぎないとわかったからだ。所有の概念をなくした先に、同じく嫉妬の概念も存在しない。






最後に誤解を招いていそうなので言っておくが、今はヒデアキと1対1の関係だ。何故なら彼は1対1を望む人だし、私も今はそのほうがいいと思うからだ。しかし他の人を愛おしく思う感情は存在する。それはヒデアキにもずっと伝えてきたことだ。その上で、愛おしいと思うのは溢れ出る感情として、その先の行動は自分で決めるべきなのだ。愛おしいままに肌を重ねるのか。それとも今の想いやパートナーの尊重から、お茶を飲んで楽しいと感じる程度の幸せな時間を過ごすだけなのか。その決断は自分の意志だ。幸せを生きるのが自分の決断に依るように。「他の男を愛おしいと思う。でもあなたが一番大切で、あなたといる時間がなにより幸せだから、私はずっとここにいる」、そういったスタンスを私はとっている。

 

 



でも今を生きているから、明日、そして1年後、もっと先に、ヒデアキと私がどうなっているかわからない。
 

 




人生は続く。(という坂爪さんの終わり方が、好きだ。)



<追記>
この記事へのパートナーヒデアキからのコメントが面白かった。
 
・自分ひとりを愛して欲しいという本心
・彼女が幸せになってほしいと望みつつ、たくさんの人を愛して、愛される事で彼女の幸福度があがるというのにそれを許可できない矛盾
・嫉妬されないのはスーパー楽だけど、ちょっとは嫉妬されたいとか思う人間の意味不明な欲
・彼女がいい女なのは誰よりも知っているがために誰かの元へ行ってしまうのではないかという恐怖心
・でもよく考えばカヤノもいい男なので、振られてもあんがいどうにかなるのではないかという謎の自負
・でもそのショックは破滅的にヤバイ可能性
・これを読んであわよくば彼女を抱けるんじゃね?とか思ってしまった男への嫌悪感
・大切にされているなという実感
・僕が死んだら迷わず、新しい恋をして欲しい
・なんて事を言わずともそうするであろう彼女
 
結論的に、聖者みたいな事は思えず、嫉妬もするだろうし、所有したい気持ちもある。
その感情も人間的で良いと思った。
 
嫉妬肯定論。
 
そんなあなたと私でいい。
 




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