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2015年01月号 vol.1

これからのパートナーシップについて

2015年01月15日 20:17 by minori
2015年01月15日 20:17 by minori

◆【結婚不要論。】「永遠の愛を、誓いますか?」・・・誓えるわけ、なくない?

 

 

恋愛を長続きさせたいというのは安定や安心を求める以上誰しも思うことだろう。恋愛に限らず世界は矛盾だらけだ。安定しようと現状維持をはかればはかるほど新しい環境の変化についてゆけずに、結果大きく変わらざるを得なくなる。逆にチャレンジしている方がその都度変化に適応しているために、結果として自身の変化は小さく済むことも少なくない。

だから、「長続きさせたいなら、長続きさせようとしないこと」だ。そして彼の言う"戦友"というのはある種恋愛という関係性よりも安定したものであるから、変化に飛び込めば飛び込んでゆくほど、安定していく。

 
 

 

パートナーのヒデアキと昔話していて出てきた結婚の話。

 

ヒ「神父さんとかがよく『永遠の愛を誓いますか?』って言うけど、あれ俺誓えない。」

み「うん、私も誓えない。」

ヒ「じゃあ結婚っていらなくない」

み「うん、うちらは要らないと思うよ(笑)」

 

 

この会話にはどういう背景があるかと言うと、私たちは──特にヒデアキは──「今」を人よりも生きている。今この瞬間を生きることに集中しているから、未来をほとんど定めないのだ。例をあげるなら、スケジュール帳は基本的にほぼ空白。美容院の予約とかはできない。目標や夢も定めない。結果何が起こるか。その瞬間の想いを軸に行動する。思い立った時に縛られる予定がないからすぐに行動できる。美容院に行きたいと思った瞬間に行く。目標は結果論に過ぎなくなる。(ちなみにこれはヒデアキの話であって私は手帳がある程度埋まっていないと逆に嫌だ。)

 

 

 

 

なぜそんな行動をとっているのか?それには2つの理由がある。

 

1つ目は、「今の自分と明日の自分はイコールではないから」。

思い出してみて欲しい。例えば幼稚園のころ将来こんな風になりたいという理想がある。例えばプリキュアになりたいという夢。そしてその10年後はきっと違う理想があるだろう。もちろんそこに優劣はないが、より世界を知った上でなされているのは後者だ。10年後の自分はプリキュアがバーチャルだと知っている。そしてそれ以外にもたくさんの理想を思い描いた中で、「自分はこうなりたい」というより鮮明な夢を描く。明日の自分や10年後の自分は、今の自分よりずっと多くを見てずっと多くを経験している。世界もがらりと変わっている。なのにその事実から目をそらし、「昔の自分の夢はこれだからこれに突き進む」としている姿勢はどうも滑稽と言うか、時代錯誤なのだ。

 

私を例にあげるなら、学生時代社会に絶望していたので、そのままだったら多分今私は死んでいる。しかしこの何年かで自分を知り、世界を知り、希望も絶望も多くを感じたからこそ、日々幸せだと生きていられる。それは10年前の自分では想像も及ばなかったよう世界だ。

人間は進化するとするならば、未来の自分の方がよりよい決断をくだせる。だから、今の自分が未来の自分を縛らないために、可能性を狭めないために、あえて未来へのレールは敷かないのだ。


 

 


もう1つの理由は「今を生きることでしか、幸せを感じられないから」。

人間にもし共通の願いがあるならば、それはただ「幸せに生きたい」ということではないかと思っている。では幸せを感じられるのはどんなときか? それは、愛する人と一緒にいる時間だったり、一心不乱に何かを創り上げているときだったり、美しい自然を心ゆくまで堪能しているときだったり、旅に出かけて新しいものと遭遇したときだったり様々だが、その共通点は皆、「今この瞬間を謳歌しているとき」ではないだろうか。少なくとも五感を閉ざし未来や過去の不安や後悔に浸っているときではないはずだ。

 

「今」を生きる。人は過去からの積み重ねで出来ているという人もいるが、この点は逆の最近流行りのアドラー心理学的に考えた方が面白い。実際ある瞬間から人生が大きく変わるというのは、単純な積み重ねでは説明しきらない気がする。

まぁどちらにせよ、「今」を生きることで幸福度が上がる、それは間違いない。だから「今」を生きる。生涯設計なんかをして(元生保会社にいた人間が言う言葉ではないが)、今の自分が60年後くらいまでを描いて決めてしまうのはとても恐ろしい。結末の分かっているONE PIECEを読んでいる気分だ。ドキドキハラハラもない分、楽しみもまた失くなってしまう。

 
 

 

そんな背景があるので、私もヒデアキもそんな「永遠の愛」なんて誓えっこないのだ。その代わり「今」一緒にいられる時間を謳歌する。その幸せを日々噛み締める。だから一緒にいるとき涙が溢れてくることは珍しくない。スタバでふと顔をあげたら涙目になっていたヒデアキがいたり、隣で寝ていた私が突然泣き始めるなんてことはわりかし普通である。本当にそれが自分にとって幸せでそれをちゃんと感じられていたら、その突き上げるような感情は自然とこみ上げてくるものなのだ。だから私たちは一日が終わるときに、例え明日が来なくとも決して後悔しないし、未来の起こりうるかもわからない不安に怯えたりしない。そんな勿体ない人生の使い方はしない。永遠の愛を誓わない代わりに、今この瞬間が、永遠なのである。

 

  

 

おまけだが、ある時役所に行った時の話。「事実婚だと扶養にはいれません」と言われて、「えー。じゃあ面倒だから紙(届け)だけ出しとく?」「それも面倒じゃない?」「・・・確かに(笑)」という会話がなされたのも、また未来を決めないゆえだった。


 

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minori
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2015/01/16
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